遠距離介護 孫娘と両親の絆

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ちーたむ
ちーたむ

両親には7人の孫がいる。シングルマザーの私には娘:るーたむがいるんだけど、7人の孫の中で一番両親との関係性が深い。今回は、るーたむと母の話

孫娘(るーたむ)の幼少期時代

私がまぁまぁ早くにシングルマザーになったのと
それでも田舎に帰らず仕事を続けてるーたむを育てた
でも、仕事して稼がなきゃいけないし
だからるーたむが水疱瘡になったり手足口病になった時は
実家に帰省して、父や母が面倒を見てくれた
特に母はその頃には仕事を辞めてたから
高速バス→電車→バスを乗り継いでるーたむの看病とかしてくれた
(ちなみに母は自転車も自動車も運転できない)

小学校に入ってからは全然体調不良にならなかったけど
夏休みとかは暇しちゃうのも可哀想だし
田舎の生活を堪能してほしいので
1週間とか1人でバス→電車→高速バスに乗らせて帰省させてた

そしてるーたむは
どこでも 秒で寝られる能力と
なんでも とめどなく食べれる能力
嫌がらず どこでもついて行く能力が備わってるから
基本的に拒否とかぐずるとか無く
父母にとっては好き放題しても
るーたむは素直に喜んでくれてた
そして、素直に喜ぶるーたむが大好きだったんだと思う

母の記憶 1

母は自分の子供の頃の記憶と
父がいること、ネコのむぎがいること
ボランティアに行ってること(本当はディサービス)
親切な仲間達(娘3人衆のこと。子供を産んだ記憶は忘れてる)
とかの記憶の中で
私の住んでる地名の記憶は言えば思い出す
「るーたむを保育園に迎えに行って、乳母車(ベビーカー)で公園歩いたねー」
って言う記憶がある。
るーたむが孫かどうか分かってるのは謎だけど
るーたむの面倒を見た記憶は残ってる
(私たちを産んだことや育児した記憶はもう無い)
写真を見せてもるーたむのことは分かる

孫娘1年間実家に帰省する(2022年)

るーたむは海外に行く系の大学に進学したんだけど
コロナの影響で海外に行けなさそう・・・
ってことで1年休学することに
(1年休学したけど1箇所はコロナが長引いて結局行けなかった)
で、今住んでることろで休学したら絶対にだらける!!
環境をごっそり変えたかったのと
母がちょうど認知症と診断された初期の頃で母の対応もしてくれることで
1年実家に帰省することとなった
その時、軽度認知症の母は環境を崩されるから反対してたけど
父は少しずつメンタルも落ち込んでたし(でもまだ初期)
るーたむに帰ってきてほしくて帰省が決まった感じ
るーたむは英語のオンライン授業受けながら
昼間はバイトして父母と(るーたむから見て祖父母)と暮らすことに
畑仕事とかも母と一緒にやってくれてた

写真は上高地に1泊2日の3人旅行
この頃は母もまだ趣味の写真を撮ってた
るーたむが運転できるのでいろんなところに行ったみたい

父は昔の映画の「ひまわり」??って映画が好き(だった記憶??)
そしてひまわりが好き
実家の玄関にも母が撮影したひまわり畑の写真がある。
この時も母は趣味のカメラを持って撮影

るーたむがいる一年は色々なところに行けたみたい

でも、認知症だったから、人格によっては大変だった(認知症母の5つの人格
嫉妬妄想(過去ブログ認知症母、父の浮気を疑う 嫉妬妄想)だったり
今はGPSつけて、悪化させないように声をかけないけど
(過去ブログ昔を生きた認知症母の徘徊認知症母の徘徊対策に使ったもの
初めての徘徊だったから、とにかく2人で阻止させようと奮闘して苦労した時期
阻止すれば阻止するほど母は暴言吐いたり、道路の側溝にはまり込んで微動だにしなくなったり
逃げ出して(足がとにかく早い)行方が分からなくなってしまったり
必死で2人で母に説得する方法しか分からなかった
家から逃げない方法を必死で考えてたような気がする

るーたむは初めてみる認知症母の姿に何度涙を流したことか・・・
何度となく暴言吐かれて傷ついて泣いたことか・・・

父曰く、あの時るーたむがいてくれたから
乗り越えれたって言ってた

両親と姉、私、孫2人の6人での旅行が実現(2023年2月)

以前父がメンタル的に疲労がかなり強くて
息抜きに旅館に行きたい時は、母は行かなかった(行けなかったじゃない)
(前回ブログ認知症母との温泉旅行計画とドタキャン母
写真はその時から約2ヶ月後の1年前に旅行に行った時の写真

るーたむが大学を復学して実家を離れ大学生活に戻り、
1年間の海外留学に行く時の話。
私と思い出旅行に行く話をしたら
なんだか父が母がいるから行けないけど行きたそう・・・
前回も旅館は母が行かないって言い出したから
父が行きたくても、リスクはかなりある。
姉とその娘もたまたま予定が空いてたってことで
サポート体制を万全にして旅行に行くことに
最悪母が行かないって言ったら、父母は行かないけど、
るーたむが旅行の前日に実家に帰って父の車を運転して父母を連れてきてくれた
これから1年間会えなくなるからって説得してくれたらしい。
私と姉と姉の娘とで車1台出して2台で三重県の旅へ
母は気分に合わせて乗りたい方の車に乗車
1日目は鳥羽方面で海鮮丼を食べたり(写真)、海をみたり
2日目は伊勢神宮に寄ってお参り

旅行キャンセルしなきゃいけないリスクもあるから
次は行けるのかどうかも分からないから
余計に嬉しかった

連れ出してくれた、るーたむには感謝

母の記憶 2

今でも帰省すると、基本的な第一声は
「あんた誰や?」から始まる
私たち娘たちは名前を言っても
「そうかぁ」で終わる(多分分かってない)
でもるーたむの時だけ
「あんた誰や?」は、一緒
「るーたむだよ」って言えば
「るーたむかぁ、なんだか顔が変わったねー」とか
「るーたむかぁ、なんだかおでこが広くなったねー」とか
るーたむのどんな記憶があるかは分からないけど存在は知ってる。
そしてニコニコする母。
いつまで記憶に残ってくれるかな。
私たちを忘れた分、
孫娘だけでも記憶の片隅に残ってて欲しいなぁ

今の記憶の対策

あんまり効果は無いかもしれないけど
今はリビングに沢山の写真をかけてる。
私たち娘の小学校の頃の写真は昔からあるんだけど
そこに最近の孫たち写真とか
娘の写真を置いてる(なるべく母も一緒に写ってる団欒の写真)
「〇〇(娘の名前)が帰ってくるよ」って言っても
「誰かわからん」とか「あーそう(興味ない)」って感じだから
写真見せながら「〇〇が帰ってくる」って言えば
少しはイメージに結びつかないかなって思ってる

名前がわからなくても
写真見て分かってもらえるように
少しでも記憶に残るように
定期的に写真を見て話題に上げて・・・

でも、そうしてたら先日帰省した時
一つ写真が落ちてたから直したんだけど
母、その変化に気づいてた
「あれ?写真が増えてる・・・」って
たまたまかもしれないけど
そうやって家族の写真を覚えててくれるといいな

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