遠距離介護 実家の大掃除大作戦

ちーたむ
ちーたむ

母が認知症になって遠距離介護となった我が家。遠距離帰省中にやったのが実家の大掃除。まだみんな(母以外)の記憶と気力と体力があるうちにやらないと

実家は物で溢れてる

実家はとにかく物で溢れてる
でもその原因の一部は私たちにもある
田舎だから高校卒業と共に進学のため県外へ
そのまま帰らず今に至ってるから
その当時のままのものが沢山残ってる
なんていうか小学生の頃からの思い出とかもあるけど
ただ単に捨てなかったもの
県外を出る時に持っていく必要もないし
実家は実家で残ってるから
特に何も考えずに残ってただけのもの
そんな物がまさかこの歳になって片付けるとは・・・

そして父はとにかく「置く」人
なんていうか捨てずにそこらへんに「置く」
捨てられないわけではないし
大事に残したいでもなく
ただ単に「置く」
そこに「置く」スペースがあったから「置く」みたいな概念

もらった物の紙袋だけを「置く」
もらった物の段ボールも「置く」
母の年賀状の置く場所がなくて「置く」
何かに書いたメモを「置く」
母の撮った趣味の写真を片付けるでもなく「置く」

だから乱雑に煩雑に物が溜まって
結果手が付けられなくなってた

そして私たちも今まで1泊か2泊しか泊まらなかったから
気にも留めなかった

母が認知症になって
家がどんどん汚れてきて
いろんなものを探さなきゃいけなくなって
そこで今まで見て見ぬふりをしていた実家に足を踏み入れることで
いろいろ見えてきた一つ
よく見たら実家は汚い
物で溢れてる
そして、私たちも、もはや40歳代
記憶と気力と体力のあるうちになんとかせねば

実家の大掃除

実家の大掃除の一部分を紹介
汚部屋を最初から見せれたらよかったけど
まさかその時はブログをやるなんて思ってなかったから
今回は途中経過とその後の写真の紹介

実家のネコのむぎ(茶色のアメショー)と
私の連れネコ(グレーのアメショーと野良のキジトラ)
(過去ブログ参照 認知症母とネコ
掃除してると邪魔してくるので思わず撮った写真だけど
これは途中経過の汚部屋
なんていうか、数十年前からのいらないものがずっと溜まってきたって感じ
旅行のチラシの山とか
母の趣味の写真を現像したもの(とにかく大きい)
メモ・メモ・メモ・・・・
毛糸(昔の母の趣味)
読まない本(母が20代ごろ買ったらしいシリーズ本)
何かでもらった紙袋・段ボールがそこらじゅう
父からしたら「いつか」片付けるものなんだけど
父には「いつか」はやってこない
だから物が貯まる
こんな中にお宝でもあれば良いけど
ゴミしか無い

これが綺麗になった後
なんということでしょう、ネコ達の快適空間が出来上がりました〜
ビフォアがないけど
途中経過にピンクの棚が写ってる所を見れば
綺麗になった感じがわかるかな?
最初はこの絨毯が見えないくらい、「物」のゴミで溢れてた

綺麗にすることで
定期的に掃除機かければいいし
ネコ達が隠れることもなければ
ネコの埃が積もることもない
母が物を隠しても見つけられる
ちなみに父は自分の父(私の祖父・一緒に暮らして無い)が大好きだったんだけど
そんな祖父の写真を見つけた
それを父に渡したらすんごく喜んで自分の寝室に飾ってくれてた
父にとってはプライスレスなお宝かなー
父もその時代はまさかこんな風になると思ってなくて
だだくさに物を置いちゃってたんだろうなー

実家について思うこと

今回、実家の大掃除をしたけれど
みんなの記憶と気力と体力のあるうちに
実家の見直しは大事だと痛感した

だって、自分達の子供の時に使ってたもの
ぜーーんぶそのままになってた
もし、私たち娘が認知症なり、動けない体なり、万が一死んでしまってたら?
誰が掃除してくれるんだろう??ってなると思った
母では記憶的に無理だし、
父は体力的に無理
そうなると私の娘??

こんな大仕事は後世に残しちゃダメだと思ってしまった
母が認知症になって、
いろいろな思い出が消えてしまって
私たちが今まで大事にしてたものって
記憶と共に価値ってなくなるんだと思ってしまった

だから、最低限大事なものだけ残して
私たちの不要な思い出は
私たちの手で廃棄してしまいたい
何度も言うけど
記憶と気力と体力のあるうちに

必要な思い出だけ残しておかないと
ゴミと一緒になくなってしまう

まだまだ掃除しなきゃいけないところはあるし
刻一刻と父や母がゴミを溜めちゃうかもしれない
新しいものはいらない。
これから発展していく(これから思い出を詰めていく)家なのか
これから衰退していく(思い出がそんなに増えていかない)家なのか
なんだか、今の実家は後半の衰退していく家のようにしか見えない
そんな感じなのかと感じて
大掃除して気持ちがスッキリした反面
少し寂しい気持ちになってしまった