認知症母長期ショートステイへ。父のGWの過ごし方

ちーたむ
ちーたむ

5月1日母が緊急ショート枠で長期のショートステイへ。そして5月3日〜6日までのGWの父の予期せぬ行動・・・・いろいろあるよね

母、長期のショートステイへ

母はもう5月1日なんて言っても分からないし、キリがいいことも分からないけど
こっちの理由づけとして、5月1日からいつも行ってるディサービスが移転したってことと
父も検査入院で他県に行かないといけなくなって・・・(大腸検査は本当に入ってたけど他県も入院も嘘)って言って母をなんとか説得というか、時間が解決してくれるというか・・・・
時間になったので行くしかなく
時間がずれたら、孫娘も午後からバイトだから不機嫌な母を連れて新しい長期のショートステイ先へ

もう家で見るには危険だったし
近隣にも迷惑がかかってきてたし
こうなった結果の寂しさと母が無事に生活できるかの不安とでも安堵の気持ちと、父が少し解放されるんじゃないかとの思い。
こればっかりは、家に居続けてもいろんな感情がやってくるから
現状、藁をもすがる思いの家族にとって長期のショートステイの話はありがたいこと。
不機嫌ながらも母を託してきました

父のGWの過ごし方

そして、父のGW
自由なGWは数年ぶりになるのか
もし、母が家にいたら、ディサービスが無い不安で母は不安が不安を呼んで、いつしか不穏になって
父がメンタル落ちて・・・の生活だったんだと思う。
GWの前日
父に電話すると、仕事も休みだし久しぶりに出かけたいとの発言
でも78歳。判断力もだいぶ落ちてきたから県外は絶対に高速バスとか電車を使うように説明
でも、電話が終わってから、せっかく休みで母もショートに預けて
それなのに出かけたいのに出かけられないのも酷だよねぇって反省
5月3日の朝に少しキツく言いすぎたかなぁ・・・なんて思って

私

お父さん、GWだけど
私は実家に帰れないけど、今日明日だったらこっちに電車かバスで来てくれたら
行きたい神社とか連れて行くよ?

ってLINE。
私ができるのはこれくらいかなぁなんて思いつつ、父の返事を待ってたら
お昼頃に

父

今〇〇神社に来てるよー
すごい人だよー

って。
父、あれだけ車に乗って他県に行くのは危険!しかもGWは車が多い!!って言って
ちょっとキツく言って反省してたのに
父には私の言ったことは右から左へと流れていってて
早速翌日、車に乗って数時間先の他県の神社に行ってた。

父

お母さんの病気が治りますように
元気に家に帰ってこれるようにお願いしてきたよ

だった。
現実しか見ない私にはこの発言が理解できず
だって母がいる時は認知症はもう治らないって言って、母の面倒もお手上げ状態だったのに
元気に帰ってきますように?
言わないけど優しく言えず
なんなら、こっちまで来たら連れて行くよって言ってたLINEも既読にはなってたけど送信取り消しして
電話もかかってきたけど出なかった。
何もなく帰ってこれたからいいけど
高齢者の逆走問題だってあるのに・・
私が言ったことは何も意味をなさないことにガッカリ

そして、5月4日特に連絡なし

5月5日の朝は

父

おはよ〜
今日は〇〇神社まで行こうと思う
昨日は別の神社に車で行って流石に疲れたし、今日はバスでお出かけだよ

はぁぁぁ
5月4日は同じ県内でも隅から隅までの距離の場所まで車で行ったらしい
そして、5月5日は疲れたのと、今までよりさらに遠い神社だから流石にバスにしたけど
その神社、私の住んでる市も通り越した先にあるところ
父は外出先でネットも使えないし、難易度が高いといえば高いところ。
父にバスに降りたらどの電車に乗れば良いか伝えようと思って電話したら
どうやら電車には乗れたみたい。
とりあえず、現地集合で私も高速乗ってその神社で落ち合おうかとLINEで会話してたら
父の乗った電車。。。快速なら1時間くらいで着くけど、そんなこと父は知らないから大体2時間くらいかかる急行に乗ってる様子。
そして、なんだかんだ言って運の良い父。
私のLINEしたタイミングがちょうど私の住んでる市の一個前の駅だった。
だから私の住んでる街の駅で降りてもらって、車で連れて行くことに。
改札出てきた父・・・・
あれ?ここ実家?っていうような服装
なんと作業着に手ぶらでやってきてた。。。。。
すぐさま水を購入して父に飲んでもらって
そして会話の中で、5月3日と4日の神社巡りは人が多すぎてお昼ご飯も食べずに家に帰ってきたって
そりゃそうだよねぇ。今までの旅行は母や誰かがいたから外食待つことも普通にできたけど
父にはそれが少しできなくて
なんだかんだ言って運が良い父
今日は私がエスコートして神社巡りに付き添って、お昼も食べて
なんなら姉にも電話して夕方4時の高速バスの時間までケーキとコーヒー飲んでのんびり談笑して
父が若い頃は良く来てたから昔の話をしつつ楽しい時間を過ごすことができた。

そして最終日の5月6日は・・・・
父、バス→新幹線で京都の神社に行ってた

もうね、今まで出掛けられなかった皺寄せが全部来たのかなぁ

でもね、私と一緒に行った神社とか、お昼の写真とか、姉と3人で撮った写真とか・・・・
全部、なんか憑き物が取れたみたいなすごく良い笑顔だった

父の願い

憑き物って言ったら酷だけど
そのくらい、母のことでメンタルダダ落ちの時は、歳を異常に感じるほど
疲れてて、やつれてて、弱々しい父
一緒に神社行ってた時は9割父がずっと昔の話とか母との出会いの話とか喋ってた
基本父は多弁でずっと喋ってるけど、
母がいる時は認知症だから仕方ないのに母を少し見下すような悪口が多くて嫌だったけど
全然そんな話が出てこなくて、良い思い出の話がたくさん出てきてた。
そして、父の願い
4日間ずっと神社巡りして
母の認知症が治って、一緒に暮らせるようにって。

父は父で母をショートに預けないと共倒れになるくらいしんどいけど
感情面では、やっぱり辛いんだよね
認知症が治ってとか、もう無理ってことも分かってるけど
自分にできることはこれくらいしかできないって言って神社巡りしてた
父の母への愛情だよね

現実的な私・・・・父に悟す

父のできることはこれしか無いっていうのも分かる
母の病気が治ってほしいのも分かる
父の母への愛情なのも分かる

でもね、9割ずーーーーーっと父の会話を聞いてた私
車に乗らないでって言っても他県に行ってしまった父
最終日になんだか悲観的+黄昏てる感じのLINEがきた時には
超現実的な私にはお腹いっぱい
私の心がもういっぱいになってて、優しい気持ちで見てたけど見切れなくなってしまって
父に
「足るを知ることも大事だよ」って言ってしまった

だってね、
なんだかんだ言って、父は本当に恵まれてる
母のことは大変だったし辛かったけど
これが仕方のないことだったら
今までの過程で起きたことは本当に父にとっては恵まれてる
娘たちみんなで助け合ってきたし
いろんなタイミングでディサービスやショートステイや今回の長期のショートステイに至ってる

認知症は仕方のないことであれば
父にとっても、母にとっても
最低限の幸せがやってきてると側から見て思う。
だから、足るを知って今の現状にありがたいと思わないと
今の現状でも恵まれてるのに、母の病気が治って母と一緒に暮らすなんて神頼みするには欲深すぎる
って言ってしまった。

ちょっとねキツく言ってしまいがちな私だけど
大丈夫。
父は底抜けに優しいというか怒らないんだけど(姉曰く姉には怒るらしい)
私の言ってることは右から左へ流れて行くから
何を言っても響かない
なんなら、「足るを知る」って言葉は父の名言として姉たちに電話で言うくらい
何かが変換されて私の存在は消えていくの
親子ってそんなもんだよね。いろいろな形があるよね

さてさて来週の「ときどき介護」
母の長期のショートステイの過ごし方
脱走歴のある母。詳細は次回へ

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