父含め総勢6人での万博の旅

ちーたむ
ちーたむ

 認知症の母がロングのショートステイになって、初めての旅行。いつまでできる旅行か分からない。私は無駄に頑張ってしまう。

母ショート後の初めての旅行

母がロングのショートステイになって、
旅行なんて行けたらいいね程度に全然考えてなかったんだけど
私の娘が秋にはオーストラリアに行ってしまう
私と娘で旅行がしたいって話をしてたんだけど
祖父母が大好きな娘
私が仕事で忙しい時に旅行に一緒に連れて行ってくれた祖父母
だから、これから先、もう二度と旅行に行けないんじゃ無いかと娘は思ったみたい。
そして、父と私の娘(父から見ての孫)は万博が行きたい
そんなこんなで、万博に行くことになりました(私は娘と旅行したいだけ)

ひとまず、せっかく万博行くのだからと姉妹に声かけたら
妹と妹の子どもの2人が一緒に行けることに
これはこれで、妹は市内に住んでるから、妹と妹の子(孫)と父と旅行なんて行ったことなんてない
強いて言えば、認知症母と旅館に行こうと計画してたのが行けなくなった時に
急遽私と母が自宅待機になって、私の娘と父と妹の子2人で温泉旅館に泊まったくらい(県内)
だから、妹からしても子どもたちを連れての県外への父との旅行は行ったことないし最後になるかもしれないし、万博行きたい派だから行くことに。
総勢6人の大所帯で万博に行くことになりました。

なんだか、6人の万博の旅行の計画・・・・
もし、母が今まで通りのディサービスだったら、
一泊二日でショートを頼んだとしても、
緊急で迎えが必要になった時用に母を見る人が必要で(多分私になる)
そのころのショートの場所は「母が大変だからどうしましょう?」って相談の電話も毎回かかってたし
そうすると実家に前泊してとか色々大変だったよなぁ・・・・って思いつつ
母の心配をしなくていい、気持ちの楽さを実感してしまった。

旅行の計画立案

でも、こんな6人(父、私、妹、孫3人)で旅行なんて
もう絶対今後行けないから
知らないながらに一生懸命調べて
新幹線の予約、到着時間を考えてシャトルバスにするか公共交通機関を利用するか
どっちのゲートで入場するべきか・・・とか全部調べて予約。
父の負担を最小限に出来るホテルはどこか調べたり
1週間前までの予約も全部子ども達に相談したりして予約して(電力館が当たった!!)
なんなら、今回は父がいるから何かあった時でも子どもたちは困らないように
色々ホテルの名前とか新幹線とか時間とか全部書いた旅の栞も作成

全ては78歳の父を連れての旅行
問題が起きた時に対処できるように全部手配
旅行の手配とか苦手だったし、万博はややこしかったから大変だったけど
本気で頑張って滞りなく計画
父には杖を忘れないように言って
なんなら、新幹線は朝イチの始発
田舎に住んでるから5人は前泊して新幹線近くのホテルにして、私以外の5人は泊まってから始発で新大阪に行くように計画して、11時の東ゲートで予約したから公共交通機関を利用して行ってきました

超大変な介護旅行 1日目

そして・・・・
やはり・・・・・
この旅行はものすごく大変な旅行になりました。
以前父は左下腿の内出血で抗凝固剤を飲んでるからパンパンに足が腫れたんだけど(まだ母が家にいる時)
それが時々悪さをするみたいで
朝の父は足を引きずって歩いてる・・・・
そして杖を準備したのに忘れてきて(ちなみに水筒は前泊したホテルに忘れてた)
これから万博で歩くのに?大事な杖家に置いてきたの?
前日はもっと酷かったって妹と私の娘も言ってるし・・・・この先の不安
新幹線内で杖の借用を考えたけど
移動のことを考えると車椅子を万博で借りることに。
そして、事前情報で入場前が大変だって聞いてたから
自然に妹は小さな折り畳み椅子
私はレジャーシートとか熱中症予防の氷嚢とか子どもたち用というより父の体調管理のために徹底準備
それらも駆使して入場(初日は車椅子借用ゲートがあることを知らなかった)

でも、本当に本当にありがたいことに車椅子の人用の優先で入れるところから
いろんなパビリオンが見れたのはすごく幸いなこと。
ただ、6人の大所帯
それぞれのパビリオンで一緒に入れる人数が決まってるから
それを確認して、子どもたちを優先して入ってもらうことに。
私の娘は成人してるから父の車椅子の介助をお願いしつつ
パビリオンに色々入ってもらって
なんだかんだ言って父が一番沢山パビリオンに入って
私や妹は食事の調達とか回ってる間にご飯を買って大屋根リングでみんなで食べたりの手配
もはやツアーコンダクターみたいになってた。

そして1日目の帰り
父の対応で大変だったから、子どもたちはもう少し最後まで見ていたいし
父はもう限界だったからホテルに行きたいし・・・
だから私と妹と父で先にホテルへ向かうことに
そして、車椅子降りた途端、
父・・・・歩けず・・・・・
どうやら内出血で痛めた大腿が痛くて歩けない・・・・
なんとか足を引き摺りながら駅に向かって
誘導の方にも少し助けてもらいつつ(全体の流れを乱さないように対応してくれました)
途中、私の常備薬のバファリンを飲んでもらって
電車を乗り継いでホテルへ・・・
もう知らない土地で電車でって、普段ならなんともないけど
父が歩けない状況で、しかも日曜日だったからタクシーも難しく
私が妹と父の荷物を持って、妹が父に肩を貸して歩く始末
ホテルに着く頃にはバファリンも効いて一人で歩けるようになったけど
父に車椅子なんて初めてだったから
もはや介護旅行みたいな感じになってた。

超大変な介護旅行 2日目

そして、2日目
この日は車椅子用の入場ゲートも分かってたから
一緒に同行できる人数が3人だったから、妹と妹の長女と父で優先ゲートに行って
私たちは一般ルートで入場
もう2日目は食事以外完全に別行動
そして、父と一緒だと優先的に入れるけど
私の娘も父と一緒だと車椅子押す負担とか色々かかってきて大変だったみたい
(妹の子どもは高校1年と小学5年生だから手伝いは難しい)
だから、2日目の午後は少しだけ子どもたちだけの時間にして
私と妹と父で大屋根リングの2階とかを車椅子で散策して
3時半のシャトルバスで新大阪へ向かうことに。
そして西ゲート
私はバス乗り場を先回りしてチェック
妹たちは父と車椅子の返却に行ってもらったんだけど
西ゲートから新大阪のシャトルバスまでの距離は父には歩ける距離ではなさそう
急いで車椅子を返却してる妹たちに合流して、職員さんにお願いしてシャトルバス乗り場まで車椅子を借りて、父をシャトルバスの列まで連れて行って、車椅子だけを返却して・・・・
全部時間に余裕を持たせて動いてたし、
なんなら新幹線まで歩くの分かってたから15時に予防的にバファリンも飲んでもらって対応してたけど・・・
もう頭の中はいかに父の足のことと熱中症予防とか体調管理とか時間管理をするかで精一杯
新幹線は席を行きも帰りも予約してたから安心だったけど
常に父の介助でお土産も見れず
でも妹の子どもたちはお土産見たいから、駅では私と私の娘で父と待機して
妹たちでお土産買いに行ったりしてた。

そして、新幹線で無事に帰れて
私は自分の家に、他の5人は実家方面に

疲労困憊

だいぶ端折って書いたから
実際はもっと大変だった今回の旅行
計画を綿密にしておいたし、常に先回りして行動した旅行

私だけ帰る場所が違うから新幹線後は一人で帰ってけど
帰宅後泣けてきちゃった

元々の職業柄他人を第一優先にしがちな私
安心が欲しいタイプなので先回りしてスムーズにことを進めるのを生きがいに感じる私
万博は他の5人ほど興味がなかった私

だからね、パビリオン全然見てないの
みんなが回ってる間に一人でマレーシアパビリオン見て
フランスは私の娘と並んで見て(他の4人は優先)
カンボジアはスムーズに入れそうだったからみんなが回ってる間に見て
あとは事前予約で通ってた電力館は
みんな遊びに回っちゃって、私は父と二人で電力館回ったから、父の対応・・・

車椅子の同行で6人まで大丈夫なところはなかったから
全部子どもらに譲ってきた
5人OKなところは妹に譲ってきた
それでいいと思ってたんだけど
帰ったら無性に虚しくて泣けてしまった
介護のために計画から同行して帰ってきただけの旅行になってしまったような気がして
頑張りすぎてしまう自分の性格・・・・
だからと言って誰かを差し置いてパビリオン見たいわけじゃないけど・・・
ご飯は美味しかったからすごく満足だったのに(マレーシア美味しかった!!)
疲労も入り混じって泣けてしまったな・・・・

ちなみに父は万博行ったことを周りに言ったみたいなんだけど

父

みんなに、万博大変だったんじゃないかって聞かれたけど
全然大変じゃなくて楽しかったって言ったんだよー(笑)
でも、もう一回行くのは無理かなぁ(笑)って話してるよ(笑)

父は大変じゃなかったのは良かったし
こちらの大変さが微塵も伝わらなかったのは良かったけど・・・(父らしい)
周りの人が、こんな父でも万博行けるんだと思わないで欲しいなって思ってしまった
私や妹や私の娘がどれだけ大変だったか・・・・・

でも父にいい思い出が新たにできたのは良かったな

母が認知症になって
父が大腸がんの手術をして
これが最後の旅行かもって思いながら旅行してるから
結構頑張ったけど、頑張った甲斐があったな
でも、次は私も楽しめる旅行にしたいと思ってしまった

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